前回・前々回と、ゼロ年代におけるライブペインティングの動向をいくつかの系に沿いながら追ってきた。だが、それら特定の流れに必ずしも組みしないものの、ユニークな個性と独特の存在感を放ってきた特筆すべきライブペインターたちはほかにもいる。今回は、そのような「一匹狼」たちに注目してみたい。
「松岡亮と「かく」ことの初源性」
1974年に東京で生まれた松岡亮(Ryo Matsuoka)は、ゼロ年代のライブペインティング・シーンのなかでも、最初期にその活動を開始したペインターのひとりである。また、2000年前後にKAMIや鈴木ヒラクが初めて見たライブペインティングは松岡によるものであり、そこで衝撃を受けて以来、現在にいたるまで継続してインスパイアされ続けていると本人たちが語ることからも分かるように、松岡がシーンの聡明期に与えた影響は大きい。
その最大の特徴は、「かく」ことの初源性への徹底的な没入である。
松岡は、作品として「仕上げる」ことや、パフォーマンスとして「演出する」ことではなく、あるいは誤解を恐れずに言えば、アーティストとして「表現する」ことですらなく、それら社会的プロセスのもうひとつ手前で、ただひたすら「手を動かし」「かく」という営みに向き合う。それら反復的な動作が生み出すシンプルな描線と色彩の乱舞には、あどけない子供の落書きにこれほど接近しつつも、しかし子供の落書きではけっしてないと思わせる、本能と作家性のあいだのすれすれのバランスを見て取ることができる。けれどそれは、やはり作家性としか呼ぶことのできないなにかだ。
したがって、作品としてスタジオで制作したものか、ライペインティングとして人前でかいたものかという分類を彼に当てはめようとすることは、徒労に等しい。松岡のプラクティスは、それら形式上の要請に収斂することはない。比喩ではなく、文字通り呼吸をするようにかくのであり、毎日のように、屋内であれ屋外であれ、自宅であれスタジオであれ、散歩中にたまたま通りかかったどこかであれ、紙を広げて、ビールを片手に、ひとりでかくのである。
次に引くのは松岡自身の言葉だ。
普段の制作も何かを超えようとはしない。何かに訴えようともしない。目立つ必要も無いし主張する必要も無い。描く。その場所に立ち。ただただ描く。
以上のことは、松岡がゼロ年代のライブペインティング・シーンにおいて位置するポジションの特異さと無関係ではない。
先述のように彼は、現在のようにライブペインティングという表現文化が定着する前の2000年頃から、すでにそれに準ずる活動形態にいたっている。だがそれは、言わば「ライブペインティング」未満のライブペインティングであった。
松岡にとってそこで起っていたことは、絵画やドローイング、アクションペインティングやライブペインティングといった出力形式とは無関係に、ただ「かく」ということ、時間・場所を問わずいつでもどこでも紙を広げてただ「かく」ということに過ぎない。だが、その所作が無垢であればあるほど、結果的にそれは場所を選ばず生活のすみずみに溢れ出し、意図せずして他者の目に留まり、関心を引きつけることにもなる。
もちろん、それをパフォーマンスとしてだれかに見せるという狙いが、少なくとも最初からあったとは思えない。しかしそこに人がいれば、結果的に見られることにもなる。知人同士でカジュアルに集まり、飲食に興じながら談笑する場で、勝手に紙を広げて遊び半分にかく(これは江戸時代の席画をどこか連想させる)。そういったことが続けば、自然となにかを依頼されることも増える。イベントやギャラリーでオーディエンスを前にかくということも出てくる。環境は広がり、いつしかそれは「ライブペインティング」と呼ばれるようになっていた。しかし環境が変わっても松岡のやることは変わらない。ただひたすら線を引き、色を塗り、かくということに尽きる。
「かく」ことへの没入とその力強さ/ゼロ年代初頭に松岡のパフォーマンスを目撃したKAMIや鈴木ヒラクらは、それに触発されながら、のちのライブペインティング・シーンで大きな役割を演じていくことになる。だから僕たちは、そのシーンの奥底に、ライブペインティングの一語ではどうしても括り切れない、「かく」ことの初源性が宿っているということを知っておいてよいだろう。
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冒頭で「一匹狼」という表現を用いた。たしかに、松岡亮は、特定のコミュニティに属さず、ほかのアーティストとの共演関係が頻繁にあったとも言いがたい。だが、これまで見てきた通り、彼のライブペインティングには重要な主題が通奏低音として見出せるというのも事実だ。彼は、「かく」ということ、すなわち描画行為とフレームの関係を、ライブペインティングという表現形式に固有の条件のもとで問い直している。そして、それらの試みは、ライブペインティングが絵画の公開制作やアクションペインティングといった既存の表現手段から自律し、それ独自の実践のなかで今後の展開を迎えていくべきである現在のシーンに、先鞭をつけていると言えるのではないだろうか。
(2012)