kotoba*言葉
「About RYO MATSUOKA」
---Words By Tow Ubukata/冲方丁
「人って飛べる気がするんだ」RYO MATSUOKAはそう言った。

「当然、飛べるだろうって。普通のこととして」
---たとえば、もし飛べると信じる男が、同じように飛べると信じる女と出会って子供が生まれ、その子もまた飛べると信じて成長し、そして同じように飛べると信じる誰かと出会ってまた子供が生まれ、それからまたその子が同じように飛べると信じそうして何世代にも渡って「飛べる」という想いがつづいてゆくと、きっと人は自然と飛べるようになる。器械も風も火も要らずに---ただ人だけで。

「そんな気がするんだよ」RYO MATSUOKAは、力強い目で、そう言った。

そんな彼のことをどう言葉にするか。一番簡単なことから始めよう。
「彼は、絵を描くことで生活している――」
これが始まりだ。そしてここから限りないCOMLPLEXが拡がってゆく。

彼は、生活で絵を描いている――
彼はスタイルで絵を描いている。彼の手が、足が、心が、生活が、筆だ。
そして都市が舞台でありキャンバスだ。彼は常に彼自身で絵を描いている。

絵は、彼を生活させている――
彼の絵は何か。それは彼を生かしている何かだとしか答えようがない。
それは同時に僕らを生かしている何かだ。だから僕らは、彼の絵に共感する。

彼は、絵を生活させている――
彼は絵を呼吸させている。闘犬のように牙を剥かせず、
奥深い森で静かに長々と時間をかけて成長する大樹のように絵を扱う。
彼は絵とともに、絵は彼とともに生きる。

生活が、絵を、彼に描かせている――
彼が生まれる前から、絵というものは存在していた。
絵というものが存在する前から、人は生きてきた。彼は一番最後にいる存在ーー
「飛べる」と信じた人々の最後の末裔だ。

この世に無数の人が生きているということが、絵に「かくあれ」と告げる。
彼は全身全霊でそれを受け取る。絵とそういう関係を結ぶことを決めた、現代のシャーマンとして。

シャーマンは、司祭と違い、みなに背を向ける。それは、みなを無視することではない。
みなをどこかへ連れていく姿勢である。彼の背の向こう、
今まさに描かれる絵の向こうに見たこともない地平が広がる。
その地平の彼方に、偶然と呼ばれるものがある。
たまたまこの世に存在した、意味をなさない全てのカオスを祝福する言葉=偶然。
彼はその偶然をつかまえ、未知の意味を描き出す。
彼が描き始めなければ、彼の絵を見なければ、誰も何が起こるかも分からない。
そういう未知の躍動が、彼の絵を見つめる一人一人の生命を飛翔させる。
みなそれぞれ全く違うかたちで「かくあれ」と告げられる。

「この世に才能というものがあるとしたら、それは偶然をつかまえる力だ――」
その生命の秘密を正しく伝え、大勢の者に実感させることが出来るのが、彼だ。
彼は、絵で踊るシャーマンだ。

「僕らは偶然、この世に生まれた――その意味を今、知った」
それが、RYO MATSUOKAの絵がもたらす祝福だ。
彼の絵は、決して「飛ぼう」とは言ってくれない。
ただ――「飛べる」と、教えてくれている。

「松岡亮について。」word by NA JI-SEOK
exhibition at gallery sobab yangsu-ri korea, sep2016

「松岡亮について。」word by NA JI-SEOK
exhibition at gallery sobab yangsu-ri korea, sep2016

 松岡亮という人は先入観や固定観念を持たない人なのではないだろうか。芸術、人々、人生についても、''このように''あるべきだとか''あのように''あるべきだと考える人ではない。彼は躊躇うことなく手に絵具をつけ、確かな指示もないまま身体と鉛筆が呼応するように線を引いていく。

 現代の芸術はアートを読み取るという方法で成り立っています。それは作家本人の意図や評論家の批評からどう読み取るかという行為で現代美術は構造化され、これは以前から続くポストモダンの世界で固く暗黙的な教育の方法で成り立った1つの方式です。これにより完全な感覚や直感はまるで単なるギャンブルの様なものと見なされ、芸術の動機から形式まで全ての行為は文脈の元に意味や理由を求められてきました。これらの動きは今では慣習的なものになり、少なくともこれらの方法が世界や人々をアートを思考する方向へと導きました。しかし対照的にこの方法が徐々に私達のアートに対する感覚を鈍らせていきました。そのような慣習化された視点で松岡亮の絵を見ると、それは何一つ明白な答えを私達には与えてはくれません。

 彼の作品は豊かな色彩の印象が絶え間なく広がっていき、黄色と空色と・赤と黒・ピンクと緑が、エネルギーが流れる様に鉛筆で引かれた線の上を競争するように360度に広がっていきます。このような彼の絵は私達の身体に活力を与えてくれます。しかし身体的な活力という言葉で伝えてもそこに現れる本当の力を伝える事は出来ません。なぜならその力は説明される事ではなく、感じる事だからです。
いままで自分たちが絵からそのような本当の力を感じたのが何時だったのかを思い出せないぐらいです。

 彼の絵画は抽象画の観点から説明する事は出来ません。そして彼の色とタッチから出る力を''人間の内在された感情の表現''という言葉に置き換えた瞬間に私達は何か違和感を感じます。松岡亮という人が持ったエネルギーや絵を描く瞬間の動きを''人間のそれ''という単語に一般化したり、一定の文脈で読み解いていこうとしても、松岡亮の絵はあまりにも自由奔放なのです。慣習化された文脈の概念は作家達に自分の作品に反して偏見や先入観・固定観念を抱かせてしまいます。その為に制作の仕事量は減り、制作過程が苦しくなってきます。しかし松岡亮の作品量・作業量は断然圧倒的なものです。

空間いっぱいに自由に絡み合った彼の色と動きを見ていれば、作家の意図や考え方を読みとろうとする私達の古い芸術に対する''癖''が、どれほど慣習的な教育の結果なのか反省する事になり、またあの空間いっぱいを埋め尽くされた漂う色を見ていれば、我々が感じ楽しむことが出来る色というものがこんなにも数多くあったのかと改めて気付かせてくれます。それは海の色ではなく''青''で、夕焼けの色ではなく''黄''。それは草の色ではなく''緑''、雪の色ではなく''白''と。比喩ではなく、''色''が''色''に近づいていくのです。そして入り組みながら1つの形として存在したそれらの豊富な色達は私達の言葉を超えたエネルギーを持っています。そして彼が自分の動きを''Play''と表現した事のように、人間が遊んでいる時ほどポジティブなエネルギーが力強く現れる時はないからです。この忙しい現代の世の中で、本当に''遊ぶ''という事を感じられるのはどれほど難しいことか?何をすれば遊ぶというのか、どんな気持ちが遊ぶというのかを私達はよく知らず、ただただ生きています。しかし松岡亮の絵を見ていれば、私達は彼が本当に楽しみながら、どのような先入観にもとらわれず躊躇う事も無く動く姿を見る事が出来、そしてそのエネルギーは松岡亮という人の身体から流れ出て私達は出会う事で出来るのです。その躊躇ない動き・先入観の無い色達・松岡亮は私達と一緒にいるのです。

 

私は昔に彼が東京から京都までの550キロを歩いた話を聞いた事があります。そして2013年に展示の為にgallery sobabを訪れ両水里に滞在した時も、私達がいつも車で移動する距離を、奥さんや娘さんと一緒に毎日歩いて移動していました。彼は本当にたくさん歩きますが、彼にとって歩く事を特別な事ではありません。彼の絵から出てくるエネルギーも他のアーティストが自分の作品を印象的である事を望むエネルギーとは全く違い、特別ではない純粋なエネルギーだと思います。彼は制作や作品だけではなく、人生そのものを''play''しており、それは今まで出会った人達やこれから出会うであろう人達を受け入れる姿勢が証明しています。世界、芸術、人に対する先入観の無い彼の公平な態度・視線・行動・意識は彼の人生に真に現れて、そのような人生を生きていく男が描く絵はこんな難しい時代の中で最近何処でも見る事が出来なくなった純粋な力を持っています。その力は現代美術と呼ばれるものが失ってしまった大切な1つです。人々は常にそれを探し追求してきましたが、現代の美術からはしばらくの間それを探し出す事は出来ず満たされる事はありませんでした。しかし松岡亮はまさにその純粋な力の近くにいるのです。

 

「最初の絵」小金沢智

exhibition at block house/2012nov-12-2013jan18/「終るという事を知っている。」

 最初の絵

 松岡亮の絵を見るとき、最初の絵はこういうものだったのかもしれないと感じる。最初の絵というのは人類が初めて描いた絵のことで、それがいつであったのかを含め誰も最初に描かれた絵を知らないが、その絵は最初から今でも壁画に残されているため見る事ができるような動物や人の姿であったのではなく、原初の段階ではただの線やただの面、すなわち取り立てて何かを表しているというものではなかったはずである。はたして絵は人類が第三者とのコミュニケーションを欲した結果生まれたと考えるべきか、自らの内面を出力せんとした結果生まれたと考えるべきか、答えはそもそも1つには求められないはずで出ようがないが、おそらく誕生の経緯としてはシンプルなことで、手が自分以外の世界に触れようとしたときが最初の絵の生まれたときだった。たとえば大地に手が触れたとき、その手が一瞬ではなく継続的に触れ続けたことで線が生まれ、面が作られたというような、そうゆうことの結果として絵があるのではないか。最初から絵筆や絵具やカンウ゛ァスがあったわけではないのだから。

 松岡は、アクリル絵具は使うが絵筆は使わない。今回の個展で松岡は、用意した40枚のベニヤ板に直接手で描き、それをノコギリで描画の形に沿って切ったものを、壁面に釘で打ちつけることで展示を作り上げている。できあがったものを持ってきて設置したのではなく、画材を持ち込んで会期中滞在しその場で作っていくというスタイルである。なにもなかった壁面には最終的におびただしい数の絵が打ちつけられ、空間がビルの四階で天井がガラス張りという開放感も手伝って、鮮やかな色彩と1つとして同じものはない絵の形が心地よいリズムと立体感を作り出している。また一方で、ベニヤ板の存在感と、視覚に入る切り取られたそれらの断面の荒さが、圧力となって見るものに迫ってくる。ある意味でそれは暴力的であると言ってよく、松岡の作品には心地よさだけではなくそういった側面も同時に備えているから見たときに立ち去りがたい引力がある。
 冒頭で「最初の絵はこうゆうものだったのかもしれない」と書いたのは、絵筆は使わず手を使って描いているからという短絡的な理由ではもちろんない。そのことが絵に荒さを伴った生々しさをもたらしていると言うことはできるが、松岡はそれを狙ってそうしているのではなく、そうやって描くことが本人にとって自然であるからそうしていると思える。おそらく松岡にとって絵筆は邪魔なのだ。手の動きと力をそのままに、ベニヤ板や、あるいは紙や、あるいは壁面に伝えなければならない。そうすることにより直接世界に触れる。漠然とした世界ではなく、自分以外の、確かに触れえる外部としての世界、その交信の結果としてのものが絵と呼ばれるものになっているというだけのことだ。松岡の絵はもっと動物としての私たちの根源的なところと繋がっている。だから私はそれを「最初の絵」と呼ぶ。

こがねざわ・さとし
日本近現代美術史研究者

「自由な魂」鈴木ヒラク
松岡亮くんは、10年ほど前から僕のヒーローの1人である。
彼が描いているときに、周りに生まれる空気が好き。
誰もが子供の頃に感じたはずの、手を動かしたら、
うわ、線がついてくる、ついてくるーというあの驚異の感覚が、
すり減ることなく、そこにある。
大人のゴマカシがない。流されないし、真剣だけど、開かれている。
笑っちゃうほど切実である。
自由な魂を感じさせてくれる。

鈴木ヒラク

(2015)

ゼロ年代とライブペインティングの風景///第3回

大山エンリコオサム/enrico isamu oyama

 前回・前々回と、ゼロ年代におけるライブペインティングの動向をいくつかの系に沿いながら追ってきた。だが、それら特定の流れに必ずしも組みしないものの、ユニークな個性と独特の存在感を放ってきた特筆すべきライブペインターたちはほかにもいる。今回は、そのような「一匹狼」たちに注目してみたい。

「松岡亮と「かく」ことの初源性」

 1974年に東京で生まれた松岡亮(Ryo Matsuoka)は、ゼロ年代のライブペインティング・シーンのなかでも、最初期にその活動を開始したペインターのひとりである。また、2000年前後にKAMIや鈴木ヒラクが初めて見たライブペインティングは松岡によるものであり、そこで衝撃を受けて以来、現在にいたるまで継続してインスパイアされ続けていると本人たちが語ることからも分かるように、松岡がシーンの聡明期に与えた影響は大きい。

 その最大の特徴は、「かく」ことの初源性への徹底的な没入である。

松岡は、作品として「仕上げる」ことや、パフォーマンスとして「演出する」ことではなく、あるいは誤解を恐れずに言えば、アーティストとして「表現する」ことですらなく、それら社会的プロセスのもうひとつ手前で、ただひたすら「手を動かし」「かく」という営みに向き合う。それら反復的な動作が生み出すシンプルな描線と色彩の乱舞には、あどけない子供の落書きにこれほど接近しつつも、しかし子供の落書きではけっしてないと思わせる、本能と作家性のあいだのすれすれのバランスを見て取ることができる。けれどそれは、やはり作家性としか呼ぶことのできないなにかだ。

したがって、作品としてスタジオで制作したものか、ライペインティングとして人前でかいたものかという分類を彼に当てはめようとすることは、徒労に等しい。松岡のプラクティスは、それら形式上の要請に収斂することはない。比喩ではなく、文字通り呼吸をするようにかくのであり、毎日のように、屋内であれ屋外であれ、自宅であれスタジオであれ、散歩中にたまたま通りかかったどこかであれ、紙を広げて、ビールを片手に、ひとりでかくのである。

次に引くのは松岡自身の言葉だ。

 普段の制作も何かを超えようとはしない。何かに訴えようともしない。目立つ必要も無いし主張する必要も無い。描く。その場所に立ち。ただただ描く。

 以上のことは、松岡がゼロ年代のライブペインティング・シーンにおいて位置するポジションの特異さと無関係ではない。

先述のように彼は、現在のようにライブペインティングという表現文化が定着する前の2000年頃から、すでにそれに準ずる活動形態にいたっている。だがそれは、言わば「ライブペインティング」未満のライブペインティングであった。

松岡にとってそこで起っていたことは、絵画やドローイング、アクションペインティングやライブペインティングといった出力形式とは無関係に、ただ「かく」ということ、時間・場所を問わずいつでもどこでも紙を広げてただ「かく」ということに過ぎない。だが、その所作が無垢であればあるほど、結果的にそれは場所を選ばず生活のすみずみに溢れ出し、意図せずして他者の目に留まり、関心を引きつけることにもなる。

もちろん、それをパフォーマンスとしてだれかに見せるという狙いが、少なくとも最初からあったとは思えない。しかしそこに人がいれば、結果的に見られることにもなる。知人同士でカジュアルに集まり、飲食に興じながら談笑する場で、勝手に紙を広げて遊び半分にかく(これは江戸時代の席画をどこか連想させる)。そういったことが続けば、自然となにかを依頼されることも増える。イベントやギャラリーでオーディエンスを前にかくということも出てくる。環境は広がり、いつしかそれは「ライブペインティング」と呼ばれるようになっていた。しかし環境が変わっても松岡のやることは変わらない。ただひたすら線を引き、色を塗り、かくということに尽きる。

「かく」ことへの没入とその力強さ/ゼロ年代初頭に松岡のパフォーマンスを目撃したKAMIや鈴木ヒラクらは、それに触発されながら、のちのライブペインティング・シーンで大きな役割を演じていくことになる。だから僕たちは、そのシーンの奥底に、ライブペインティングの一語ではどうしても括り切れない、「かく」ことの初源性が宿っているということを知っておいてよいだろう。

***************

冒頭で「一匹狼」という表現を用いた。たしかに、松岡亮は、特定のコミュニティに属さず、ほかのアーティストとの共演関係が頻繁にあったとも言いがたい。だが、これまで見てきた通り、彼のライブペインティングには重要な主題が通奏低音として見出せるというのも事実だ。彼は、「かく」ということ、すなわち描画行為とフレームの関係を、ライブペインティングという表現形式に固有の条件のもとで問い直している。そして、それらの試みは、ライブペインティングが絵画の公開制作やアクションペインティングといった既存の表現手段から自律し、それ独自の実践のなかで今後の展開を迎えていくべきである現在のシーンに、先鞭をつけていると言えるのではないだろうか。

(2012)

「生命が旅立つような爆発的エネルギー」佐々木俊輔
最初に松岡亮さんの描画を見たとき、巨躯の男が、素手と素足で、
子どものような目をして、一心不乱に何かを生み出す姿に釘付けになり、
「ああ、楽しかった」と言って彼がその行為を終えるまでのおよそ九〇分間、
片時も目が離せなかった。

そこで何が生み出されていたのか、ずっと考えているが、
いまだに明確な答えは出ない。ただ、きわめて原始的なやり方で、
恐ろしく複雑なものが生み出されていたと思う。
それは「創作」というより、「創世」に近いものだったのかもしれない。
最初の原子が生み出されるような悦びと、
原初の生命が旅立つような爆発的エネルギーが、
そこにはある。

だから、その絵を前にすると、
わたしはもはや「わたし」であることに執着する必要がなくなり、
ただ静かに言葉を失う。

佐々木俊輔

(2015)

「空間へと変わる体」松下徹/sidecore
線は骨であり繊維である、絵の具は肉であり血であり、
これらは紙やキャンバスという皮膚に包まれて肉体となる。
松岡はとても優れたラグビー選手であった、それもあってか彼の風体はとても巨大で、
そしてものすごく筋肉質である。松岡のライブペイントが注目されるのは、
そのような松岡が全身を駆使し、指で色を置き、時に足までを使い、
そして素早い動作で絵を仕上げていく様に迫力を感じるのだ。
これは一種の肉体の解体ショーなのではないかと最近は考えている。
松岡は「指から色が出る」と描く動作を表現するが、
それならば支持体の塗りたくられた絵の具は松岡の血であり肉であるはずだ。
つまり身体が解体されて、平面となり、そして絵が放置され空間に変わり、
そして松岡の体である絵に鑑賞者は包まれていくのだ。
松岡の絵に対しプリミティブな感動をもつ人は多いが、
もしかしたら非常に巨大な松岡の絵に包まれた時のあの感動は、
母親の胎内から見ていた体内とそこに差し込む光の色なのかもしれない。

松下徹

(2015)

「松岡亮」柴田 維

もう10年以上も前になる。

 小さな会社を立ち上げたばかりの自分が憧れの作家に手紙を書いたことから、この一冊は生まれた。

 現代アメリカ文学を代表するポール・オースターが作家になる前に書き溜めた、
全ての詩を集めた本。原書が刊行されたと聞いて、大学時代の恩師であり本書の翻訳者でもある
飯野知幸先生と共に日本での翻訳出版を模索した。先生のご尽力もあり、名もなき出版社で出版できることになった。

 そこから無謀な本作りが始まる。お金も人脈もなかった。
ただ、一生残る美しい本を作ることだけを考えた。本気の夢中さは出会いをもたらす。

 装丁は当時「芸術新潮」のアートディレクターを務めていたB-graphix 日下潤一さん。
解説はオースターの小説を翻訳し続けた柴田元幸さん。人生の先輩たちは信じられないほどの力を貸してくれた。

 表紙案を悩み続けていた時、その絵に出会った。描き殴ったように荒々しく、圧倒的に美しかった。
若く貧しかった頃のオースターが壁に詩を書いていた姿と重なった。本書「壁の文字」の表紙はこの人の絵しかないと確信した。

 松岡亮さんはこの一冊のために何十枚もの新しい絵を描いてくれた。
どうしても選びきれずに、3枚の絵を使用させて頂いた。何度も色味を調整し、どんどんお金がなくなった。
不思議なくらい、どうでも良かった。

 もしもオースターの作品に出会えなかったら、今の自分はいない。
もしも本書がなかったら、今あなたが目にしているこの絵は生まれなかった。

 人が作品を生み、作品は人を繋ぐ。

 今日の出会いが10年後の自分を作る。

 (編集者・柴田維)2018

「松岡亮とは。」木村嵩之
描く 

腕を切られる 

足で描く 

脚を切られる 

髪で描く 

髪をぬかれる 

舌で描く 

舌を切られ死ぬ

これは技術ではない。芸術でもない。方法でもない。哲学でもないし。音楽でもない。これは。
これは「まるかいてちょんまるかいてちょん。おまめにねがでてうえきばちー。」だ。
パンクでもないし。ユーモアでもない。真実だ。あなたと何も変わらない。

*****************

ただただ描く。

出会ってくれて、ありがとう。

松岡亮